(ロシア革命の貨幣史) シベリア異聞 《解 説》
極東共和国

極東共和国 Дальневосточная республика とは、ロシア革命後の国内戦争末期に、オムスクより敗走する反革命のコルチャーク軍を追撃してきた赤軍部隊と、日本のシベリア派遣軍との直接的な軍事衝突を避けるため、バイカル湖以東の地域につくられた緩衝国家で、1920年4月6日〜1922年11月15日の間存在した。
ロシア革命に対する干渉戦争では、日本の他に、米・英・仏・伊・中・カナダなどの各国がシベリア・極東地方へ軍隊を派遣しているが、日本以外は1920年初頭にほとんどが撤退した。
しかし、日本だけはその後も大軍の居座りを続けていた。
1920年3月、コルチャーク軍を撃破して極東へ進撃してきた赤軍部隊は、ヴェルフネウヂンスクの占領後、これ以上東へ向って進むことができなくなった。
当時、ザバイカル州以東には数万の強力な日本軍が散在して駐留しており、日本軍部隊が集結していたチタを攻撃すれば、日本軍と衝突することになり、日本とソヴェト共和国との公然の戦争となることは明らかであったからである。

ソヴェト政府としては極東での混乱を回避したかった。
2個師団程度の赤軍で日本軍に対抗することは困難であり、日本軍との直接の戦闘がはじまれば、日本はより大量の軍を派遣できることを承知していた。
そこで、ロシア共産党中央委員会とソヴェト政府は、日本軍との直接的な軍事衝突を避けるため、その緩衝の役割を担う 「緩衝国家」 を設立することを決めた。
これによって、日本軍との間に停戦条件を協定し、中立地帯を定めて、バイカル湖の西への日本軍の進攻を食い止めようとしたのである。
日本の 「過激派」 恐怖心を和らげ、日本軍による惨禍を回避し、さらには日本軍の極東ロシアからの撤兵を促すためには、非共産主義的な緩衝国家の創建が必要であった。
そのため、緩衝国家としての極東共和国はソヴェト制をとらず、西欧的な民主主義に則った憲法による、国民議会を最高機関とする多党連立の議会制共和国とした。
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「極東共和国の憲法と外相ヤンソンの解説」 (大正11年(1922年)9月5日 「大阪毎日新聞」)
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[解説] 緩衝国家設立構想
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[解説] 極東共和国の成立の経緯
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[解説] 極東共和国人民革命軍
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ヴォロチャーエフカの戦闘
極東共和国の国土
独立宣言当時 (1920年4月6日) の極東共和国の領土は、ザバイカル州、アムール州、沿海州 (プリモーリエ州)、サハリン州、カムチャツカ州であった。
(このうち、カムチャツカ州は1920年12月30日の国境条約でロシア社会主義連邦ソヴェト共和国に譲渡された。)
極東共和国の州ごとの人口は、次のようになっていた。
当時、バイカル以東の人口については 「面積吾国に五倍する所に人口僅か二百万」 といわれていた。
戦災避難などによって各地の人口は常に激しく変動しているが、上記の数値は、大阪朝日新聞 『尼港と樺太』 (1920(大正9).11.24-1920.12.16)の記事に掲載されていた数値 (州の面積は 「方哩」(平方マイル) をメートル法表記に換算) である。
極東共和国内のおもな都市の人口は、
チタ 79,200 人 (ザバイカル州)、
ブラゴヴェシチェンスク 62,500 人 (アムール州)、
ハバロフスク 51,300 人、
ヴラヂヴォストク 91,464 人 (沿海州)、
ニコラエフスク 12,000〜13,000 人であった。
都市に生活する者は全住民の僅々8%内外に過ぎなかった。
また、極東共和国の領域以外では、
イルクーツク 129,700 人、
トムスク 116,664 人、
オムスク 135,800 人
となっており、これら3市は、当時シベリアの3大都市といわれていた。
極東地方の産業
極東共和国が存在していた1920年〜22年当時、極東地方の産業は次のような状況であった。
鉱業:
鉱業産物の中で最も豊富なものは沙金であり、その主要産地としてアムール州 (ゼーヤ鉱区) が有名である。
沙金の外には鉄と石炭を多量に産出するが、その採掘事業はまだほとんど発達していない。
アムール州および沿海州には無尽蔵の良質な鉄山が各所にある。
石炭は沿海州の各地で産出しており、それらはウスリー鉄道の沿線に近く、輸送の便がある。
また、サハリン州のアレクサンドロフスク付近の炭坑は全く無尽蔵といわれている。
その他の鉱業資源としては、白金、銀、銅、錫、亜鉛、マンガン、モリブデン、アンチモンなどが、所々に産出する。
農業:
沿海州を除いて、極東地方の農業は未発達の状態であり、自給自足ができないため、その大部分を輸入に頼っている。
アムール州では、開墾可能な肥沃な土地は少なくないが、目下のところほとんど耕作が行われていない。
主な農産物は、小麦および蕎麦のほか、大豆、大麦、燕麦などである。
牧畜:
シベリア原住民にとって牧畜は最も主要な生業で、アムール州および沿海州では牛肉と牛乳用の牧牛が行われている。
アムール州産の馬は優良で、あまり大きな体躯ではないが力が強く、原住民の唯一の財産として非常に尊重されている。
林業:
アムール州および沿海州は、ほとんど全土が森林に蔽われているといっても過言でないほど森林資源は豊富である。
植林事業は行われていないが、建築および工業用材として尊重される有価樹林が豊富にあり、これらの材木は水運あるいは鉄道によって各方面に搬出されている。
狩猟:
極東地方のいたるところに貴重な毛皮を供給する獣類が多数棲息しており、狩猟は原住民にとって極めて重要な職業の一である。
漁業:
沿海州やカムチャツカ西海岸の漁場は魚種や漁獲量が豊富であり、これらの地域の漁業は日本と密接な関係をもっている。
工業:
製鉄業その他の金属品製造、農産物を原料とする工業として製粉業、酪農品製造業、ビール醸造業など、水産物や獣肉の缶詰、毛皮製造など、
林業関連では製材、製紙および家具製造などの各種工業が行われているが、規模は大きくない。
極東共和国では、土地、森林、鉱山などの資源について私有は禁じられているが、一般に私有財産や、個人、各種組合、公共団体、国家機関などによる商取引や輸出入は認められている。
極東共和国の国章と国旗
極東共和国の国章について、1921年4月27日の憲法に次のように記述されている。

第180条
国章を定める。
その描画は次のとおりである。
赤い盾の上に針葉樹の松の飾り環、その内側には朝の曙光を背景に、姿を現した太陽と (上部に) 五芒の銀の星。
先端を下にして、小麦の穂束を貫いて交叉した錨と先の尖った槌つるはし。
右側からの飾り環に "Д (デー)" の文字が赤い帯に、左側からの飾り環に "В (ヴェー)" 、下部に針葉樹の小枝の把手の間に "Р (エル)"の文字。
「ДВР」 は、「極東共和国 Дальневосточная республика 」の略号。
この国章にある 「錨」、「小麦の穂束」、「槌つるはし (単端の手堀り用の金採取つるはし)」 は、極東共和国の主要な3つの地域 (錨:沿海地方、小麦の穂束:沿アムール地方、槌つるはし:ザバイカル地方) の統合を象徴している。
極東共和国の国旗は、1920年11月11日付の極東共和国政府の決議によって確定された。

国旗は2色で、布長が幅の 1.5倍の赤い布地に、旗竿側の縦および幅の上部半分が紺色 (тёмно-синий) の四角形、そこに赤い文字で "Д. В. Р." が三角形状に配置されている。
極東共和国に関連する貨幣
è 緩衝紙幣 (極東共和国以前)
è 極東共和国信用券
è 極東共和国計算票
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