帝政ロシアの通貨事情 |
18世紀の貨幣流通
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金貨の量目 (上段) と純金量 (下段) の推移
銀貨幣 (ルーブル銀貨) および高額面補助銀貨 1ルーブルの価値の完全な実体を有する最初のルーブル銀貨は、1704年に製造された。 そして、それに先立つ1701年に、ルーブル銀貨の1/2および1/4に相当するポルチーナ (50コペイカ) 銀貨、ポルポルチンニク (25コペイカ) 銀貨の製造がはじまった。 ポルチーナ銀貨およびポルポルチンニク銀貨は、ルーブル銀貨の1/2および1/4の純銀量を含有しており、それぞれの銀貨に含まれる純銀分の価格は名目価格に等しかった。 ポルチーナ полтина 、ポルポルチンニク полуполтинник は、それぞれ半ルーブル、四半ルーブルの意味である ( ロシア語で 「ポル пол-/полу-」 は 「半分」 の意味)。 これらの額面額は、実際の貨幣を1/2、1/4に分割して用いていた秤量貨幣(ひょうりょうかへい) の名残か...
18世紀のロシアにおける銀貨の量目、品位、純銀量は次のように推移した。 1銀ルーブルの量目、品位、純銀量の推移 |
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年 |
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量目 |
品位 |
純銀量 |
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1699-1707 |
a |
28.44g |
84 |
(875) |
24.89g |
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1707-1710 |
b |
28.44g |
77 |
(802) |
22.75g |
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1710-1712 |
c |
28.44g |
72 |
(750) |
21.33g |
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1712-1718 |
d |
28.44g |
58 |
(604) |
17.06g |
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1718-1730 |
e |
28.44g |
70 |
(729) |
20.73g |
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1731-1761 |
f |
25.88g |
77 |
(802) |
20.73g |
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1762-1796 |
g |
24.00g |
72 |
(750) |
18.00g |
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1796-1797 |
h |
29.25g |
83 1/3 |
(868) |
25.39g |
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1798-1885 |
i |
20.73g |
83 1/3 |
(868) |
18.00g |
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銀貨の量目 (上段) と純銀量 (下段) の推移
低額面補助銀貨 比較的低額面の補助銀貨として、グリヴェンニク (10コペイカ) およびその1/2の10ヂェンガ (5コペイカ) の額面の銀貨の製造は、1701年に始まった。 1704年には、アルティン (3コペイカ) 銀貨の製造が行なわれている。 1760年になると、20コペイカおよび15コペイカの額面の銀貨の製造が始まった。 1710年〜1712年、1718年〜1730年および1797年〜1859年の間は、これらの低額面銀貨に含まれる純銀分の価格は、ルーブル銀貨を基準にした場合の名目価格に等しかったが、それ以外の期間では一定ではなかった (1860年以降は漸次減価し、1867年以降には、その1ルーブル分の銀含有量はルーブル銀貨の半分になった)。 低額面補助銀貨は、その枚数によって交換価値を計る計数貨幣であり、貨幣の実体価値とは関係なく、信用貨幣としての性質を持っていた。
補助銀貨1ルーブル当りの量目、品位、純銀量の推移 |
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年 |
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量目 |
品位 |
純銀量 |
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1701-1706 |
a |
28.44g |
77 |
(802) |
22.75g |
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1707-1710 |
b |
28.44g |
84 |
(875) |
24.89g |
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1711-1713 |
c |
28.44g |
72 |
(750) |
21.33g |
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1713-1718 |
d |
56.71g |
38 |
(396) |
22.44g |
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1718-1725 |
e |
28.44g |
70 |
(729) |
20.73g |
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1726-1730 |
f |
26.59g |
42 |
(437.5) |
11.63g |
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1731-1740 |
g |
25.85g |
77 |
(802) |
20.71g |
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1741-1745 |
h |
25.85g |
72 |
(750) |
19.37g |
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1746-1763 |
ih |
24.17g |
77 |
(802) |
19.37g |
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1764-1796 |
j |
23.80g |
72 |
(750) |
17.85g |
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1797 |
k |
29.25g |
83 1/3 |
(868) |
25.39g |
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1798-1810 |
l |
20.73g |
83 1/3 |
(868) |
18.00g |
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補助銀貨1ルーブル当りの量目 (上段) と純銀量 (下段) の推移
銅貨 ピョートル一世 (大帝) は、流通過程での深刻な 「小銭 мелочи」 不足に対処するため、コペイカよりも低額面の貨幣の発行に着手した。 1700年に機械で製造された円形のヂェンガ (1/2コペイカ) 銅貨、ポルーシカ (1/4コペイカ) 銅貨、ポルポルーシカ (1/8コペイカ) 銅貨の流通が開始された。 補助貨幣の基本であったコペイカ銅貨の製造は1704年に始まったが、1718年に中止された。 コペイカ銅貨の発行が再開されるのは、ピョートル二世治世の1728年のことになる。 1700年には、1プード (16,380グラム) の銅から12.8ルーブル分の銅貨が製造されたが、この数量は1702年には15.4ルーブル分にまで増え (銅貨の軽量化)、1704年には20ルーブル分、1718年からは1プードで40ルーブル相当の銅貨が製造された。 一方、比較的高額面の銅貨が最初に製造された年は、10コペイカ銅貨が1762年、5コペイカ銅貨が1723年、4コペイカ銅貨が1762年、2コペイカ銅貨が1757年となっている (ただし、ルーブル、ポルチーナ、ポルポルチーナ、グリヴナ (10コペイカ)、5コペイカ、コペイカの各額面の 「銅板貨幣」 が1726年に製造されている)。
銅貨1ルーブル当りの量目の推移 |
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年 |
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1ルーブル当りの量目 |
銅1プード当りルーブル |
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1700-1702 |
a |
1280g |
12ルーブル80コペイカ |
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1702-1704 |
b |
1060g |
15ルーブル44コペイカ |
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1704-1718 |
c |
819g |
19ルーブル20コペイカ |
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1718-1730 |
d |
410g |
40ルーブル |
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1725-1727 |
e |
(銅板貨幣) 1638g |
10ルーブル |
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1730-1754 |
f |
1638g |
10ルーブル |
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1755-1757 |
g |
2048g |
8ルーブル |
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1757-1761 |
h |
1024g |
16ルーブル |
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1762 |
i |
512g |
32ルーブル |
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1763-1796 |
j |
1024g |
16ルーブル |
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1764-1781 |
k |
(シベリア貨幣) 655g |
25ルーブル |
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1770-1771 |
l |
(セストロレツク) 1024g |
16ルーブル |
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1796 |
m |
512g |
32ルーブル |
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1797-1810 |
n |
1024g |
16ルーブル |
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銅貨1ルーブル当りの量目の推移
紙幣 1769年〜19世紀の中頃までは、「アシグナーツィア」 と名付けられた紙幣が流通していた。 アシグナーツィア紙幣は、当初は銅貨と、後に銀貨と兌換されることになっていたが、度重なる戦争の戦費調達のために増発を繰り返し、兌換が停止されて、その価値は下落し続けた。 帝政ロシアの紙幣の詳細については、次へ進まれたい。
ロシア貨幣の呼称・俗称については、次を参照されたい。
はじめに /
ピョートル大帝の幣制改革 /
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