《総合案内》

帝政ロシアの通貨事情

ロシア革命の貨幣史 


 

  シベリアの社会・政治情勢 1918−22年

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ロシア革命の貨幣史/シベリア篇 「シベリア異聞」

 

 

 

ロシア革命に対して列強は、国益至上のもと、それぞれの思惑から反革命の側に積極的に加担し派兵しているが、殊に我が日本は、これら列強の中でもひときわ大量の軍隊を派遣し、 ロシア極東の反革命勢力に膨大な軍事支援を与え、自らも革命勢力と直接戦闘を交えていた。

この軍事干渉を 「シベリア出兵 Японская интервенция на Дальнем Востоке 」 というが、 ここでは、「シベリア出兵」 の下でのシベリア・極東地方における貨幣流通事情 (そこでは、日本統治下の朝鮮に設けられた植民地中央銀行 「朝鮮銀行」 が通貨干渉戦争の先鋒を担っていた) を概説する。

 


 

シベリア異聞

はじめに

起稿の意図、趣旨、内容について紹介する。

シベリアの通貨事情

十月革命の後、ロシア中央部との正常な連絡を阻害されて通貨の供給が途絶えたシベリア地方では、深刻な通貨不足に陥っていた。 そのため、シベリア最大の都市オムスクにあった 「臨時シベリア政府」 や、それらシベリア各地に乱立していた反ボリシェヴィキの諸政府を統一して成立した 「全ロシア臨時政府」 は、「シベリア紙幣」 と呼ばれる代用紙幣を発行した。 本稿では、この 「シベリア紙幣」 発行の経緯について概説する。

コルチャークの通貨改革

内戦の時期に、反革命勢力の中心のひとつで、ソヴェト政府にとって最大の脅威であった、オムスク政府 (コルチャーク政府) の影響下にあったシベリア・極東地方の通貨事情を、シベリア出兵当時 (1918年〜1922年) の日本の新聞に掲載された記事を基に概説する。

極東共和国の緩衝紙幣

オムスクから敗走するコルチャーク軍を追撃してきた赤軍と日本のシベリア派遣軍との直接的な軍事衝突を避けるため、バイカル湖以東の地域につくられた緩衝国である 「極東共和国」(1920年4月6日〜1922年11月15日) における通貨事情を、当時日本で報道された新聞掲載記事に基づいて概説する。

通貨干渉戦争始末 (シベリア出兵と朝鮮銀行券)

激しいインフレーションのために通貨としての流通力を漸次失っていったロシア紙幣 (ルーブル) に代わり、ロシア極東で唯一の信用力のある通貨になったのは、「朝鮮銀行券 (円貨)」 であった。 ここでは、日本のシベリア派遣軍とともにロシア極東に進駐し、経済干渉の尖兵として、ロシア革命に対する干渉戦争の一翼を担っていた朝鮮銀行券について言及している。

 

《トピック》 アムール河の波

1918年11月にシベリア・極東地方の諸政権がオムスクのコルチャーク政府に掌握されて、「シベリア紙幣」 が供給されるまでの間に、アムール河沿岸の2つの都市ハバロフスクとブラゴヴェシチェンスクでは、その地で成立した地域政権によって独自の紙幣が数種類発行されている。 これらの紙幣が発行された背景を概説する。

 

* * *

 

(余 話) ロシアの黄金強奪事件

ロシア革命後の混乱の時期に起きたチェコスロヴァキア軍団と反革命軍部隊によるロシア国家の黄金 (金準備) 強奪事件は、日本の軍部をも巻き込んだミステリアスな事件へと発展した。 本稿では、「ロシア革命の貨幣史」 の余話として、メインテーマから逸脱しない範囲で、事件の顛末を紹介する。

「(余話) ロシアの黄金強奪事件」 は以下で構成されている。

日本は、ロシアの黄金22箱を返還するか

1991年9月13日、ソヴェト連邦の政府機関紙イズヴェスチヤに 「日本は、ロシアの黄金22箱を返還するか」 という見出し記事が掲載された。 この記事の内容、この記事に関連して出された資料 (週刊誌・月刊誌・書籍など) を紹介する。

黄金強奪事件の顛末

この黄金強奪事件について、「ソヴェト百科事典」 での解説を基にして、この事件に深くかかわったチェコスロヴァキア軍団の行動を中心に、事件の顛末を紹介する。

ロシアの黄金をめぐるスキャンダル

1991年9月13日のイズヴェスチヤ紙が報じた黄金強奪事件以外にも、セミョーノフ軍の金塊強奪事件など、「シベリア出兵」 の周辺には黄金にまつわるスキャンダルが多く、それらの展開は日本を舞台に行われた。 「ロシアの黄金」 に関連したスキャンダルの一部を紹介する。

シベリアの社会・政治情勢 1918−22年

「シベリア出兵」 当時 (1918年〜1922年) のシベリア・極東地方における通貨事情を理解するために必要な社会・政治情勢の関連解説を抜粋・整理しておく。

《解 説》 シベリア争乱 1918−20年

《解 説》 チェコスロヴァキア軍団事件

《解 説》 シベリア出兵

《解 説》 極東共和国

è  緩衝国家設立構想

è  極東共和国の成立の経緯

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モスクワで裁判にかけられることになっていた A.V.コルチャーク提督は、彼の身柄がコルチャーク軍の残党に奪還されることを恐れたイルクーツク軍事革命委員会によって、1920年2月7日の未明に銃殺されることになるが、銃殺の直前まで9回にわたって予審審問が行われた。
コルチャーク提督に対する予審の審問記録については、 コルチャーク提督審問記録 を参照されたい。

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ロシア革命直後に、アムール河沿岸のブラゴヴェシチェンスクで諜報と謀略の任務に携わっていた予備役陸軍少佐 石光真清 (1868-1942) については、 「続諜報記 ― シベリヤ篇」 考 を参照されたい。

 

 

 

ロシア革命の貨幣史 (本篇)

ロシアの金本位通貨制度の発足から、第一次大戦およびロシア革命を経て国内戦争が終結し、崩壊した貨幣流通制度が ソヴェト政府による新経済政策 (ネップ) の下で再建されるまでの、ロシア激動の時代の通貨事情を概説する。

 

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