シ ベ リ ア 異 聞 齋 田 章 |
はじめに
ロシア革命に対する日本のかかわりは、極めて深い。 革命に前後する激動の時代のロシアの貨幣流通事情を解明することを旨とする本稿 「ロシア革命の貨幣史」 では、 この日本のかかわりについても当然論じないわけにはいかない。 1917年の十月革命に端を発する革命側と反革命側との武力対決 (内戦) と、それぞれの思惑から反革命の側に積極的に加担した列強の軍事干渉は、ロシアを極限にまで混乱状態に陥れた。 これら列強の中でもひときわ大量の軍隊を派遣し、極東ロシアの反革命勢力に膨大な軍事支援を与え、自らも革命勢力と直接戦闘を交えるなど、軍事干渉の主役を担ったのは、他ならぬ 「日出ずる国 Страна восходящего солнца 日本」 であった。 この日本の行ったロシア極東地方での軍事干渉を一般には 「シベリア出兵」 というが、この用語法自体、ことの本質を覆い隠す侵略者側の表現であるとして、これを 「シベリア戦争」 と呼ぶべきであると和田春樹氏らが提唱して既に久しい。
和田氏がそこで論じておられるように、シベリア出兵は、たんなる出兵ではなく、宣戦布告はなかったものの、まぎれもなく戦争であった。 本稿は、シベリア出兵 (シベリア戦争) について、その軍事的・政治的・外交的側面を体系だてて論じようとするものではない。 本稿の主題 (キーワード) は 「通貨」 であって、シベリア出兵 (シベリア戦争) 下のシベリア・極東地方における貨幣流通事情 ― そこでは、日本銀行券との兌換が保証されていた 「朝鮮銀行券」 が広範に流通しており、通貨干渉戦争の先鋒を担っていた ― を解明することにある。
朝鮮銀行は、日本統治下の朝鮮に設けられた植民地中央銀行であった。
それは、日本の大蔵省 (2001年に財務省と内閣府金融庁に再編) の直接監督下に置かれ、本店は京城 (ソウル) にあったが、重要事項はすべて東京で決定された。
朝鮮銀行は朝鮮の中央発券銀行でありながら、日本の国策に応じて、「円」 通貨圏拡張のため広範囲に帝国主義的金融活動を行った。 本稿では、「シベリア出兵」 当時のシベリア・極東地方における貨幣流通事情を解明する手段として、当時の日本の新聞 (日本国内、朝鮮、および満洲など当時の日本の勢力圏で日本人向けに発刊された) の掲載記事を事態の経緯を追うための基本素材とした。 これは、ひとつには日本のかかわりを日本人の目線をもって見てみたかったこと、ふたつには、この時代のシベリアや極東地方の通貨事情を解説した資料が極めて少なく、一方で、当時唯一の 「マスメディア」 であった新聞は、ロシア極東の経済情勢に極めて高い関心を寄せており、新聞報道を追うことによって、当時のシベリア・極東地方の通貨事情がかなり鮮明に浮かび上がってくるものと考えたからである。
2007年8月
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凡 例
[参考文献]
はじめに /
シベリアの通貨事情 /
コルチャークの通貨改革 / 《解 説》
1918−22年、シベリアの社会・政治情勢 |