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コルチャーク、アレクサンドル・ヴァシリエヴィチ


Колчак, Александр Васильевич (1873‐1920)

帝政ロシアの提督 (1916年4月 海軍少将、6月 海軍中将、1918年11月 海軍大将)。 1873年11月4(16)日、サンクト・ペテルブルグ近郊のアレクサンドロフスコエ村で生まれた。

1894年に海軍兵学校を卒業。 1900年のトーリ男爵による北極探検に参加。 日露戦争および第一次大戦に参戦し、1916〜1917年には黒海艦隊司令官。 二月革命後、ペトログラードへ召還され、戦時体制の強化を画策する臨時政府によってイギリスおよびアメリカ合衆国へ派遣された。 1918年10月、イギリス軍司令官 A.ノックス少将に連れられてオムスクに入り、「全ロシア臨時政府 (ウファ執政府)」 が成立すると、陸海軍相に就任した。 当時、全ロシア臨時政府では5人の執政官による合議制が採用されていたが、コルチャークは11月18日にクーデターを起こして最高執政官に就任し、軍事独裁政権を樹立した。 コルチャークの全ロシア臨時政府 (オムスク政府) は連合国の支援を受けてウラル以東のほぼ全域を勢力下に置き、1919年春には中央ロシアへの進撃を開始したが、5月末には赤軍の反攻によって撃退された。

1919年11月12日、コルチャークと全ロシア臨時政府の閣僚たちはオムスクを撤退してイルクーツクへ向い、オムスクは11月14日に赤軍により解放された。 イルクーツクへ撤退途中のコルチャーク一行は、12月27日、彼らを警護してきたチェコスロヴァキア軍部隊の保護下に拘束された。

拘束下のコルチャークは、南ロシアのデニキンに対して電報で 「ロシア国家の最高統治者」 の称号と最高軍司令官の階級を移譲している (1920年1月4日)。

1920年1月15日、コルチャーク一行の列車はイルクーツク近郊に到着したが、このときすでにイルクーツク市は社会革命党 (エスエル) やメンシェヴィキを中心とした反コルチャークの政治勢力 「政治センター」 によって制圧されており 、コルチャークと全ロシア臨時政府の首相 V.N.ペペリャーエフ Виктор Николаевич Пепеляев, 1884-1920 の身柄はチェコスロヴァキア軍部隊から政治センターへ引き渡され、刑務所に収監された。 その時期にコルチャーク軍の残党であるカッペリ軍がイルクーツクへ進攻してきたが、政治センターにはそれに対抗する力がなく、イルクーツク市の統治権が政治センターから軍事革命委員会 (ボリシェヴィキ) へ移譲され (1月21日)、コルチャークの身柄も軍事革命委員会の手に移された。 カッペリ軍によるコルチャーク奪還の動きが急を告げる中、コルチャークとペペリャーエフは、イルクーツクへ進軍中の赤軍第五軍の了解のもと、2月7日に軍事革命委員会によって銃殺された。

è  コルチャーク提督の死刑執行 (大正9年(1920年)2月17日 「大阪毎日新聞 (夕刊)」)

è  コルチャーク政権と日本のかかわり

 


 

コルチャーク事案に関する特別予審委員会
Чрезвычайная Следственная Комиссия по делу Колчака

東進する赤軍に追われてオムスクからイルクーツクへ向ったA.V.コルチャークらは、1920年1月15日にイルクーツク近郊の駅で、彼らを護衛してきたチェコスロヴァキア軍部隊から反コルチャークの政治勢力 「政治センター」 へ引き渡され、さらに市の権力委譲に伴って、彼らの身柄もイルクーツク軍事革命委員会 (ボリシェヴィキ) へ移された。 A.V.コルチャークはモスクワで裁判にかけられることになっていたが、緊迫する政治的・軍事的情勢はそれを許さなかった。 コルチャークと彼の政府の首相V.N.ペペリャーエフは2月7日の未明にアンガラ河支流の岸辺で銃殺されることになるが、非ボリシェヴィキの委員をも含む 「特別予審委員会」 は、1月21日からコルチャークが銃殺される直前の2月6日までの間に、9回にわたってコルチャークに対する審問を行っている。

è  コルチャーク提督審問記録

 


 

ロで「国策」超大作映画に賛否 白衛軍提督描きヒット

写真=映画「アドミラル」で白衛軍の指導者コルチャークを演じる人気俳優コンスタンチン・ハベンスキー(タス=共同)

ロシア革命に反対して赤軍と戦い、これまで反逆者とされてきた白衛軍の指導者コルチャークを肯定的に描いたロシアの超大作映画「アドミラル」が封切りから半月で2700万ドル(約25億2000万円)以上を売り上げるヒットとなっている。 しかし「歴史の見直しを狙う政権の意図を感じる」「史実と懸け離れている」などの批判もあり、賛否は分かれている。

映画はロシアの政府系テレビ局「第1チャンネル」などが、ロシアでは異例の2000万ドルの巨費をかけ制作。今月9日の劇場公開以来、400万人以上の観客を動員した。劇場版より長いテレビシリーズも同時撮影され、来年放映される。

コルチャークは帝政ロシアの提督だったが、レーニンの革命政権に対抗し、イギリスなどの支援を得て1918年にシベリアのオムスクでクーデターを起こした。「最高執政官」を名乗り、一時ウラル以東のほぼ全域を支配した。

作品では主演に人気俳優コンスタンチン・ハベンスキーを起用。 コルチャークを、ロシアを救おうとして赤軍に銃殺された信仰あつい英雄として描いている。(モスクワ共同)

2008/10/27 16:32 【共同通信】

 

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