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日本刀仕込みの正剣 ― 2
大礼佩剣拵の「日置藤原兼次作」一尺九寸八分 |
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明治九(1876)年3月28日、明治政府はいわゆる「廃刀令 (帯刀禁止令)」 を発し、大礼服着用の場合並びに軍人や警察官吏などが制服を着用する場合以外に刀剣を身に付けることが禁じられ、違反者は刀を没収されることになった。 それに先立つ明治五年11月(1872年12月)、明治政府は、先進西欧列強に倣って、高位高官(勅奉判官および非役有位者)の服制を定め、翌明治六(1873)年8月には宮中参内や儀式などで大礼服を着服する際に佩用する儀礼用の大礼佩剣を制定した。
この
明治六年八月三日太政官第二百八十一號 には、以下の記述がある。 |
大禮佩劒新制汎則 |
また、明治七(1874)年1月の右大臣 岩倉具視に対する暗殺未遂事件(赤坂
刀身
わきざし
※ 銃砲刀剣類登録証番号 東京教 第18485号
拵
明治六年制大礼佩剣拵
《参 考》 (1) 改暦 明治政府は、 明治五年十一月 太政官布告第三百三十七號 にて、太陰暦から太陽暦に改暦した。 明治五年12月2日(1872年12月31日)までは旧来の太陰暦(旧暦、天保暦)を使用し、 その翌日の12月3日をもって太陽暦(現行暦、グレゴリオ暦)に改めて明治六年(1873年)1月1日とした。 |
(2) 服制の制定 |
明治政府は、 明治五年十一月十二日(1872年12月12日)太政官布告第三百三十九號(大禮服及通常禮服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件) をもって文官と非役有位者の大礼服を含む服制を規定し、従来の衣冠は祭服とした。(陸軍武官で大礼服に相当するものは正装と呼ばれた)
文官とは軍人、警察官、裁判官を除く官吏をいう。 この服制において、大礼服の飾り章に、勅任官はその上衣に「五七桐」、奉任官は「五三桐」を用いることとされた。 また、ここでは佩用する正剣の制定はなく、正剣(大礼佩剣)が制定されるのは、翌明治六(1873)年八月三日太政官第二百八十一號 になる。 明治五年十一月二十九日(1872年12月29日)太政官布告第三百七十三號 (大禮服及通常禮服著用日ノ件) により着用規定が定められ、この大礼服を着用するのは「新年朝拝、元始祭、新年宴会、伊勢両宮例祭、神武天皇即位日、神武天皇例祭、孝明天皇例祭、天長節、外国公使参朝ノ節」とされた。 (3)大礼佩剣の制定 大礼佩剣は明治六年制と十九年制の二種類がある。 明治六(1873)年八月三日太政官第二百八十一號 大禮佩劒表並圖 勅奉判官並非役有位部 大禮佩劒新制汎則 (大禮佩劒制別冊之通被定候條此旨相達候事但従前之刀ヲ相用候儀可爲勝手事)
上記の「明治六年八月三日太政官第二百八十一號(明治六年制大礼佩剣)」と下記の「明治十九年十二月四日宮内省達第十五號 (明治十九年制大礼佩剣)」の間に、右図の様式の鍔(透かし彫)への改訂があったものと思われるが、当該法令を追跡できていない。 ご存じであれば、ご教示いただければ幸甚である。
明治十九(1886)年十二月四日宮内省達第十五號 改定文官大禮服制表並圖 |
è 日本刀仕込みの正剣 ― 1/明治期の陸軍武官正剣拵「肥後國忠吉」一尺八寸 (2020.09.25)
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