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日本刀仕込みの正剣

 


 

明治九(1876)年3月28日、明治政府は所謂 「廃刀令 (帯刀禁止令)」 を発し、大礼服着用の場合並びに軍人や警察官吏などが制服を着用する場合以外に刀剣を身に付けることが禁じられ、違反者は刀を没収されることになった。

明治九年太政官布告第三十八号「大禮服竝ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帶刀禁止ノ件」 (自今大禮服著用竝ニ軍人及ヒ警察官吏等制規アル服著用ノ節ヲ除クノ外帶刀被禁候條此旨布告候事 但違反ノ者ハ其刀可取上事)

それより前、明治三(1870)年12月24日に、以前には許されていた脇差をも含めて庶民が無許可で帯刀することが禁止されており (平民帯刀の取締/明治三年太政官令九百八十四 「農工商之輩許可無之猥ニ帯刀致シ候者有之趣、 以之外之事ニ候條地方官ニ於テ屹度取締可致候事」)、 翌明治四(1871)年9月23日には 「散髪脱刀勝手たるべし」 として、旧来からの社会的踏襲であった髪型や刀の着脱は自由とされた (散髪脱刀令/(明治四年八月九日太政官第三百九十九 「散髪制服略服脱刀共可爲勝手事但禮服ノ節ハ帶刀可致事」) が、 この明治九年太政官布告第三十八号によって、元来は武士身分の標識としての意味合いが大きかった帯刀が否定されて、士族に対する実質的な社会的身分(特権)が剥奪されることになったのである。

一方、この法令によれば、官員が大礼服を着用している場合や、軍人などの制服着用時には帯刀が許可されされていたことになる (明治四年太政官第三百九十九(散髪脱刀令)では、「禮服ノ節ハ帶刀可致事(礼服の時は帯刀すべし)」)。 ただし、官員については明治六年太政官第二百八十一号で 「服制の一部」 として勅奉判官および非役有位者が大礼服着用時に佩びる剣が制定されており、 また、明治八年太政官布告第百七十四號の 「陸軍武官服制改正」 で陸軍武官が制服着用時に佩用する剣と軍服着用時の軍刀が制定されていた (凡ソ制服或ハ軍服ヲ着スルトキハ必ス刀劔ヲ帶ルヲ法トス)。

大礼服や制服の着用時に佩用するフランス風の剣を 「正剣」 というが、服制では正剣の外装について定められていても、剣身については触れられておらず、その選択は自由であった。 そのため、帯刀することに郷愁を禁じ得ない曽ての武士たちの中には、正剣の剣身に日本刀を用いた者もいた。

 

è  日本刀仕込みの正剣 ― 1/明治期の陸軍武官正剣拵「肥後國忠吉」一尺八寸

è  日本刀仕込みの正剣 ― 2/大禮佩剣拵「日置藤原兼次作」一尺九寸八分

(2020.09.22)